幼少時代
昭和35年(1960年)東京都目黒区で生まれました。世田谷区で育ち、カノッサ幼稚園に通園。水玉模様の制服が似合うおしゃまな園児でした。
小学校時代
世田谷区立世田谷小学校に入学。近くの豪徳寺の八幡神社でよく遊んでいました。池には亀がたくさんいましたが、お目当ては壁穴に住み着いたうなぎの主でした。
その後、藤沢市立鵠南小学校に転校。夏はプールに通い真っ黒に日焼けしていました。市の水泳大会小学生の部で表彰されたこともあります。遊泳禁止の前の海で弟と一緒に泳いで、監視員のお兄さんに注意されたこともありました。家のすぐ裏のお稲荷さんにはアリジゴクの巣があり、掘り返して観察していました。生き物に興味がある活発な子どもでした。
中学・高校時代
フェリス女学院中学校に入学し生物部に入りました。顧問の先生は溌溂とした女性教員で、本当に色々お世話になりました。中学時代頃の記憶は曖昧で余りはっきりと思い出すことができません。
高校時代は好奇心の固まりでした。角川書店の『野生時代(当時B5サイズ)』を創刊号から読んでいました。マンガ研究会、落語研究会などにも参加。映画を1人で良く見に行きました。こっそり行っていたつもりでしたが同級生は知っていたそうです。「THE SPY WHO LOVED ME」で外国にあこがれを感じました。「日本の首領シリーズ」を見て、学校の課題レポートは三全総について調べて書きました。とにかく広範囲のジャンルを鑑賞しましたね。今でも映画鑑賞は続けています。
思い返すと、医師を目指したきっかけは、祖母の病気と手塚治虫の傑作「火の鳥」だったように思います。命と時間について考えるようになったからです。
高校で参加した初体験のスキー教室は強烈な印象で、合格したらスキーOKという両親との約束が受験勉強のはげみになりました。
大学時代
昭和54年(1979年)東京女子医科大学に入学。私たちは心研の榊原仟(しげる)先生に直接教わった最後の学年になりました。同級生には、小学校からずーっと女子校だったひと、すでに大卒で大人の雰囲気満点のひと、超美人でおしゃれなひと、その他、個性的な人材が豊富で自慢の学年でした。
当初は藤沢市の親元から通学していましたが、始発電車に乗り遅れたら則遅刻という状況で、途中から学校のそばに下宿しました。大家さんご夫婦はとても良い方でした。念願のスキー部に入部し、上手になりたくて都連のスキークラブにも入りました(日本レーシング、後にティンバーラインに発展)。もっと運動したくて水泳部にも入部しました。この時代、女子医大の同級生には多々お世話になりました。本当にありがとう、心より感謝しています。
研修医時代
大学を昭和60年(1985年)に卒業。外科系科目が好きで、学生時代にセミナー参加したことが縁で形成外科に入局しました。教室は外傷、指再接着から熱傷、褥創、腫瘍、遊離移植、先天奇形そして美容まで幅広く取り扱っており、大変刺激を受けました。毎日病院に寝泊まりする激務の生活で、OPE室付属のシャワー室での夜中の洗髪が息抜きでした。お菓子をいっぱい食べて太ってしまいました。
2年目には鹿児島市立病院に派遣されました。初代部長の佐々木健司先生は尊敬できるすばらしい方でした。県の基幹病院として多くの患者さんを診療させていただきました。また、患者さんの自宅を訪問したり、地域行事にも多数参加して、「生活者としての患者さん」という状況があることを実体験し、プライマリケアの基礎を築くこともできました。急病者搬送のため自衛隊ヘリコプターへの搭乗も経験し、度胸もつきました(この時代にはドクターヘリは無かったです)。
また休みを利用して自動二輪中型の免許を取り、バイクで屋久島を一周。島の魅力に取りつかれ、その後は甑島、長島、種子島、屋久島、口永良部島、吐噶喇列島、奄美本島、加計呂麻島、沖永良部島、なども訪問しました。
中之島の漁師さんからプレゼントされた夜光貝をクリニックに飾ってあります。
リハビリテーション科時代
地域医療をがっちり研修・勉強するため、平成1年(1991年)に帝京大学のリハビリテーション科に入局しました。20年の間に、岩倉先生、三上先生、栢森先生の3名の教授にご指導を受けました。義肢装具の処方をする中で障がい者スポーツに出会い、これは私のライフワークのひとつになりました。患者団体の親睦旅行にも参加して、そこで「生活者としての患者さん」という見方がさらに鍛えられたと思います。
大学院では整形外科領域の研修/研究も行い、腫瘍について発表しました。小学生で手術を受けた子が大学を卒業して社会人になり、そして結婚して子どもを見せに連れて来てくれた時、医学/医療のすばらしさを実感して感激に浸ったことを思い出します。
がんリハビリテーションが普及する黎明期に統合医療との出会いが多々あり、今回、思い切って開業することにいたしました。