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医師の紹介

ごあいさつ

ごあいさつ

この度、四半世紀の間ずっと住んでまいりました東京都荒川区日暮里の地に、『ひぐらし整形外科内科』を開院することになりました、丸野 紀子と申します。

リハビリテーション医療を中心とした幅広い診療経験を元に、身体活動や自律神経機能に注目して、生活満足度や社会的健康度の向上をめざし、皆様の生命エネルギーレベルを上げる診療をしたいと思います。五感に働きかけ、1つ1つの細胞から元気になっていただき、心と身体の両方が楽になるお手伝いをさせていただきます。栄養相談では薬膳などもご紹介してゆきます。

診察対象は赤ちゃんからシニア世代まで幅広く対応いたします。専門外来として、がんのサポートケアや統合医療、障がい者スポーツなども実践してゆきたいと思います。

地域の総合かかりつけ医として、病気やけがの予防・治療にも取り組みます。信頼していただける質の高い安心・安全の医療をご提供するため、スタッフ全員で研鑽に勤めます。また、特定機能病院や地域支援病院などと双方向性の連携を密にはかります。行政、福祉、介護との切れ目の無い連携を通じて、地域の皆様との絆を深めてゆく所存です。

クリニックのスタッフ一同、温かく優しく、わかりやすく、そして効果が実感できる医療を実現すべく日々努力してまいりますので、どうかよろしくお願いいたします。

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院長略歴

【学歴】
1985年3月
東京女子医科大学医学部卒業
1979年3月
フェリス女学院高等学校卒業
【卒業臨床研修及び勤務状況】
2009年6月-
東京女子医科大学日暮里クリニック性差医療部 非常勤講師
2008年4月-2009年3月
帝京大学リハビリテーション科 講師
1989年4月-2008年3月
帝京大学リハビリテーション科 助手(大学院への進学期間あり)
1988年3月-1989年3月
宗仁会病院勤務
1987年5月-1988年2月
東京女子医科大学形成外科 助手
1985年5月-1987年4月
東京女子医科大学形成外科 研修医
(鹿児島市立病院へ1年間派遣)
1985年(昭和60年)
第79回医師国家試験合格
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専門医など

  • 日本リハビリテーション医学会専門医
  • 日本抗加齢医学会専門医
  • 日本体育協会スポーツドクター
  • 日本医師会認定健康スポーツ医
  • 日本障害者スポーツ協会認定医
  • 義肢装具等適合判定医師
  • 医学博士(甲)
  • 身体障害者福祉法第15条指定医
  • 国立障害者リハビリテーションセンター学院非常勤講師(平成4-20年)
  • 帝京高等看護学院非常勤講師(平成15-20年)
  • 千葉県浦安市こども発達センター嘱託医(平成21-24年)
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発表、論文、活動など

  • 下肢における骨・軟部悪性腫瘍患者のQOL
    1995年 第28回日本整形外科学会骨・軟部腫瘍学術集会
  • メンタルケア入門 -患者さんの心を見つめるために- 癌患者と看護
     整形外科看護 2000年 第5巻 第1号 p55-59
  • 超高齢者消化器癌の周術期リハビリテーション
     2006年 第18回運動器科学会学術集会
  • Medical Support for the Blind Judo
     International Judo Symposium on Sports Medicine and Science, 2009 Tokyo
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おいたち

幼少時代
昭和35年(1960年)東京都目黒区で生まれました。世田谷区で育ち、カノッサ幼稚園に通園。水玉模様の制服が似合うおしゃまな園児でした。

おいたち

小学校時代
世田谷区立世田谷小学校に入学。近くの豪徳寺の八幡神社でよく遊んでいました。池には亀がたくさんいましたが、お目当ては壁穴に住み着いたうなぎの主でした。

その後、藤沢市立鵠南小学校に転校。夏はプールに通い真っ黒に日焼けしていました。市の水泳大会小学生の部で表彰されたこともあります。遊泳禁止の前の海で弟と一緒に泳いで、監視員のお兄さんに注意されたこともありました。家のすぐ裏のお稲荷さんにはアリジゴクの巣があり、掘り返して観察していました。生き物に興味がある活発な子どもでした。

中学・高校時代
フェリス女学院中学校に入学し生物部に入りました。顧問の先生は溌溂とした女性教員で、本当に色々お世話になりました。中学時代頃の記憶は曖昧で余りはっきりと思い出すことができません。

高校時代は好奇心の固まりでした。角川書店の『野生時代(当時B5サイズ)』を創刊号から読んでいました。マンガ研究会、落語研究会などにも参加。映画を1人で良く見に行きました。こっそり行っていたつもりでしたが同級生は知っていたそうです。「THE SPY WHO LOVED ME」で外国にあこがれを感じました。「日本の首領シリーズ」を見て、学校の課題レポートは三全総について調べて書きました。とにかく広範囲のジャンルを鑑賞しましたね。今でも映画鑑賞は続けています。

おいたち

思い返すと、医師を目指したきっかけは、祖母の病気と手塚治虫の傑作「火の鳥」だったように思います。命と時間について考えるようになったからです。

高校で参加した初体験のスキー教室は強烈な印象で、合格したらスキーOKという両親との約束が受験勉強のはげみになりました。


大学時代
昭和54年(1979年)東京女子医科大学に入学。私たちは心研の榊原仟(しげる)先生に直接教わった最後の学年になりました。同級生には、小学校からずーっと女子校だったひと、すでに大卒で大人の雰囲気満点のひと、超美人でおしゃれなひと、その他、個性的な人材が豊富で自慢の学年でした。

当初は藤沢市の親元から通学していましたが、始発電車に乗り遅れたら則遅刻という状況で、途中から学校のそばに下宿しました。大家さんご夫婦はとても良い方でした。念願のスキー部に入部し、上手になりたくて都連のスキークラブにも入りました(日本レーシング、後にティンバーラインに発展)。もっと運動したくて水泳部にも入部しました。この時代、女子医大の同級生には多々お世話になりました。本当にありがとう、心より感謝しています。

おいたち

研修医時代
大学を昭和60年(1985年)に卒業。外科系科目が好きで、学生時代にセミナー参加したことが縁で形成外科に入局しました。教室は外傷、指再接着から熱傷、褥創、腫瘍、遊離移植、先天奇形そして美容まで幅広く取り扱っており、大変刺激を受けました。毎日病院に寝泊まりする激務の生活で、OPE室付属のシャワー室での夜中の洗髪が息抜きでした。お菓子をいっぱい食べて太ってしまいました。

2年目には鹿児島市立病院に派遣されました。初代部長の佐々木健司先生は尊敬できるすばらしい方でした。県の基幹病院として多くの患者さんを診療させていただきました。また、患者さんの自宅を訪問したり、地域行事にも多数参加して、「生活者としての患者さん」という状況があることを実体験し、プライマリケアの基礎を築くこともできました。急病者搬送のため自衛隊ヘリコプターへの搭乗も経験し、度胸もつきました(この時代にはドクターヘリは無かったです)。

おいたち

また休みを利用して自動二輪中型の免許を取り、バイクで屋久島を一周。島の魅力に取りつかれ、その後は甑島、長島、種子島、屋久島、口永良部島、吐噶喇列島、奄美本島、加計呂麻島、沖永良部島、なども訪問しました。

中之島の漁師さんからプレゼントされた夜光貝をクリニックに飾ってあります。


リハビリテーション科時代
地域医療をがっちり研修・勉強するため、平成1年(1991年)に帝京大学のリハビリテーション科に入局しました。20年の間に、岩倉先生、三上先生、栢森先生の3名の教授にご指導を受けました。義肢装具の処方をする中で障がい者スポーツに出会い、これは私のライフワークのひとつになりました。患者団体の親睦旅行にも参加して、そこで「生活者としての患者さん」という見方がさらに鍛えられたと思います。

おいたち

大学院では整形外科領域の研修/研究も行い、腫瘍について発表しました。小学生で手術を受けた子が大学を卒業して社会人になり、そして結婚して子どもを見せに連れて来てくれた時、医学/医療のすばらしさを実感して感激に浸ったことを思い出します。

がんリハビリテーションが普及する黎明期に統合医療との出会いが多々あり、今回、思い切って開業することにいたしました。

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